メディアの逆転現象が至るところで・・・

ツイッターなどのソーシャルメディア?ブログ的メディア?、呼び方は何でもいいのだが、ネットのメディアが主たる発信源として、雑誌等の旧来メディアの批判から炎上に繋がり、結果的に旧来メディアの販売が伸びる、という現象が散見されるこの頃。

週刊朝日が、ハシシタイズムを批判して、結果的に掲載停止に至り、その後、まだ双方のメディア上での批判合戦が続いている様は、かなり現象として面白いし、示唆に富んでいる。

雑誌や新聞は、反論するなり謝罪するなりの場を相変わらず旧来メディアから出ようとせず、ネットメディアで反証と時々刻々と変わる状況をつぶやく橋下市長との時間的隔絶は、どう考えても旧来メディアに不利だ。不利だと分かっていながら、ネットでの反論に出てこない旧来メディアの書き手たちは、もうどうにかなってしまうんだろう。

この現象が象徴的であり、メディアの転換点だ!とかまで騒ぐ人もいるようだが、踏みとどまって考えねばならないのは、旧来メディアの人間達が自分たちの旧来メディアの販売を伸ばすために、あえてこういった手法と論評を騒がれるように書き、どこに行っても手に入らないほどの盛況ぶりをあえて狙ってやったとすると、これはゆゆしき事態だ。

旧来メディアは、特に紙媒体はその入手経路が限られるため、希少性がある。普段は余って返本する山を作るだけだとしても、こういった時はそれを入手したくても出来ないほどの状況を作る。それがまた消費者のニーズを逆なでし、ますます増長する。

販売手法としては、売り切れ覚悟で、もっと言えば、売り切れを狙って実際に売り切れたのなら、非常に優秀である。一方で、じゃあ、何でも書いていいのかというとそうでもないし、今回の記事は言論の自由では済まされないから、結果的に旧来メディアの書き手が謝罪するという結論に至ったのであろう。

何故、そういった邪推をするかというと、誰かも書いているが、旧来メディアの中の書き手たちや編集者達が、これを書いたら誰しも怒るし炎上するということは出版し書店に並べる前に判断出来るものであり、狙ってやったとしか思えない。このような反応を予期せず、表現の自由大義名分を振りかざして、多少のハレーションを覚悟の上で、好きなように書いたとすれば、それこそ権力メディアの横暴でしかない。

ネットメディアが、旧来メディアの売上拡販ツールになっているという点で、著名ブロガーのリツイートの嵐のような自己の出版物の販売攻撃は、その代表格ではあるが、それは自己の宣伝である点で否定はされないが、何かを変に捻じ曲げて批評したり評論したりして、炎上させた上で旧来メディアの売上の確保に回るのは、これはやはり行き過ぎた手法であろう。

そういったジレンマを抱えつつ、所詮雑誌に書く記者と、著名なツイッターの書き手でありフォロワーを数十万人抱えたネットの住人は、雑誌だってせいぜい数十万部しか売れないことを考えると、その影響力はもはや一介のブロガーが雑誌ライターを上回っていることだけは、どうやら間違いない。