沖縄の人達はほぼ全員が米軍の代わりに自衛隊が来ることも反対という挙手に驚いた#asamadeTV

朝まで生テレビを毎回、眠いと思いつつ、今日も最後まで見そうだ。

今日の一番の議論のピークは、実は集まった沖縄の人々の挙手した瞬間だった。

今日のテーマは、沖縄に米軍基地があることは是か非か、普天間の移設先はどこか?、そこは日米安全保障の全体の中における東アジアの抑止力の保持、という永遠の課題のような話が、まさに延々と続いているのだが、前半は水掛け論に近かったが後半は核心に迫ってきた。

そのピークが先ほどやってきた。途中の議論も面白かったし、日本国民として、沖縄県民でなくても、この永久に続くであろう基地問題は、原発立地の問題と限りなく近いもので、立地近隣は職を得るために許容する人々もいるけど、根源的には皆近くには在って欲しくないし、遠くにあって欲しいもの、ということ。皆が基地も原発も遠ざけたいけど、抑止力やエネルギーの全体感からすると必要性に全否定出来る人はいない。

その議論の中で、「沖縄の米軍基地が全て返還され、そこに自衛隊が駐留することは賛成か反対か?」という質問に対して、来場した一般人約30人の沖縄県民は1人を除いて、他の全員が「反対」と挙手した。

これは、驚くべき事実だった。つまり、アメリカや日本が、というか本土の日本人だろうが、戦争をするための基地は不要という、極度の基地アレルギーを持っていることだ。前半などの30人の方々の意見は必ずしも全員が基地を全面否定していなかったようにも聞こえるコメントもあったが、挙手をさせると自衛隊であったとしても不要との回答だった。

これはアレルギー、日本語で言えば拒否反応・拒絶反応としか言いようがない。なぜなら、大局的には米軍基地は県外移転をされれば納得する沖縄県民の気分は当然としても、それを受け入れようとしない本土の他県は非国民だぐらいの非難を言いたいようなのだが、自分の県内に自衛隊を置くことを否定することは、同時に非国民であるからだ。

過去60年にわたって、ずっと米軍基地の74%のシェアを沖縄だけが抱えてきたのだから、これから先はしばらくその重みから解放されてもいいだろう、という気分も理解出来る。ゆえに、この先50年ぐらいは、ぜめて沖縄の米軍基地を今の半分ぐらいにして、残りは本土で受け入れるべき、というあたりの折衷案が、地政学的な話を多少除いて考えれば、「最低でも県外」と発言した首相の最終的な落とし所の考え方だけは正しいのだが、その候補地を求めることなく言ってしまったことがまずかった。

驚きの一番の観点は、一日本国民としての沖縄県民も、日本の抑止力ということでは米軍基地がどこかにあることは全く否定しないながらも、米軍人が引き起こす様々な事件や事故が、地位協定によって治外法権が事実上存在し、被害者が泣き寝入りしているという点を一番の論拠にしていて、それに続くのが騒音被害やヘリの落下などの危険と続いている。一方で、自衛隊であれば、地位協定治外法権では論拠にならず、同じ日本人が日本法に基づいて裁かれる自衛隊員が近くにいることさえも拒絶する姿だった。確かに、沖縄の基地周辺の騒音と、離発着の際の低空飛行はビルの屋根を掠りそうな感じで飛ぶので、ものすごい恐怖感を感じることも事実だ。
ただ、それで言うと、僕の自宅は朝霞や練馬の自衛隊駐屯地が近いため、多少は近い状況を毎日感じている訳だが、確かに騒音や恐怖感を感じるほどではない。

しかし、それらはおそらく理屈の上での理由で、本音は別のところにあるように感じてしまった。実際に、例えば警察官が事故を起こして変な裁かれ方しかしなかったとしても、警察全体をヘタレとは思えども居なくなれとまでは思わないし、騒音や恐怖感を感じるものは、何も基地周辺だけでなくても、空港近くの住民や高速道路が近くても、同様の何かを感じることはある。ただ、どうも米軍基地というもの、アメリカ軍というものへのアレルギーかと思っていたら、そうではなく基地や戦争を想起する自衛隊であっても嫌悪感があるということだった。

長年、アメリカ占領下にあった頃から、脈々と続く戦争反対という感情を消そうとしても消せない、軍や軍備の存在を毎日の生活の中で目の当たりにしている現状や事件・事故、もしくは先祖代々の言い伝えや戦争の悲惨さが、消せない現実としての基地を拒否しつづける。

とすると、やはり思ってしまうのが、だったら沖縄を出れば?ということだ。自分は沖縄は大好きなので住みたいのだが、そこを出られない事情も多々あるのだろう。これが職業や生活ということを抜きに住む地域を考えられない現実は誰しも一緒であり、自分も沖縄は住みたいけど、外国には住みたくない。日本が嫌なら出れば?と言われても、出て他国で生活することは出来ないし、したくない。
沖縄県民も同じような想いなのだろうか。ぜひ沖縄県民に改めて聞いてみたい。そんなに基地アレルギーがあるなら、基地の少ないエリアに住むとか、県外に移住するとか、そういう選択肢は取れないのか?

そこに、沖縄県民に限らず、日本国民全体が持っているであろう、故郷であり、土着民としての土地への強い執念があるのだろう。
その執念が勝るからこそ、沖縄県民は着実に沖縄に住み続け、かつ基地に反対し続けるのだろう。