需要を事件で作り出すことの卑劣さ

アメリ軍需産業が冷戦後立ち行かなくなって、新たな戦争の火種を自分たちで巻いている、という陰謀説。

今回のイスラム圏での暴動は確かにどうでもいいアマチュアの映画での批判が発端らしいが、もしこの映画に軍需産業の金が流れているとするならば、卑劣な事態だ。

一方、そのような卑劣さはないが、復興のために公共事業を増やそうとする自民党と、原発ゼロを掲げた民主党。公共事業を増やすことは土木業界は潤うだろうが、そこにまた大量の税金が投入され、不足分は消費税で補うような構造が見え隠れする。原発ゼロは立派だが、その裏で新エネルギー開発に不正な闇金が横行していないことを祈る。

ただ、新エネルギー開発を加速させるために、あえて原発ゼロを提示し、そこに投資と研究開発を呼び起こすのであれば、それはそれで正しいむきもあるが、太陽光パネルとか風車とかの製造に、既存製造業の中小企業が向かって製造重要を謳歌できるのであれば、まあいいんじゃないか。

かたや事件、かたや災害・事故を発端に、新たな産業を作り出すのでなく、既存産業を保護しようとしているだけなら、何も進歩はない。